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知財,特に特許を中心とした事件を扱っている理系の弁護士の雑記帳です。知財の判決やトピックについてコメントしたいと思っております。
1 ということで,お待ちどう様でした~。毎週金曜日は,ビギンズナイトの日!ということで,例の話の2回目です。
 多少ヘビーな話が続きますし,長いので,まあそういうのが嫌いな人は飛ばすことをオススメしますわ。 

 さて,ここまでのあらすじは,前の記事を見て頂くといいのですが,一応まとめておきます。経緯も重要ですからね。   

 2000年(平成12年)の3月,弁理士の新人研修から厚木に戻った私に,突然届いた前の職場の後輩の訃報。それが始まりでした。彼の死因は自殺で,それが過重な仕事のせいであることは誰が見ても明らかなものでした。  
 そのショックのため私はなかなか心の平静を取り戻すことは出来ずにいましたが(ま,当然ですね。),弁理士の新人研修が終わったばかりだというのに,司法試験の受験予備校(辰巳)に講座の申し込みをして何とか日常を取り戻しつつありました。 

2 ということで,いつまでもくよくよグダグダもしてはいられません。仕事も待ったなしですし,辰巳のお試し講座も受け,そちらも何とかなりそうな感じでしたから。
 その上,時というのは凄いもので,時の経過により,何事もまたうまく行きそうな感じさえしていました。   

 そんな折の,また月曜の朝でした。 

3 例のショックな件から3週間後の3月27日(月)のことです。  

 私はいつものように,厚木テックの103Gの知財部の居室に入り,PCをオンにしようとしていました。   

 そのとき,居室での隣の席だった,当時の庶務の*さんから話しかけられました。 

「岩永さん,あの,Sさんがね,Sさんが亡くなったの。これからA会議室で,課長の*さんから話があるって,半導体Gpの人も来てって。mtgやるみたいで。」
「え,ウソでしょ。まじですか。何で?」
「詳しくはわからないけど・・・。*さんから話すと思うわ。」 (ウソだろ,おかしいだろ,まだあれから1ヶ月も経ってないぞ。どうなってんだ・・・。)   

 A会議室には知財部の全員が集まりました。そこで課長の*さんから聞かされたのは,先週の土曜(3月25日ですね。)にSさんが亡くなられたこと,今日が通夜で,明日が葬儀・告別式だということ,それに伴い様々な諸事があるので,協力されたいということでした。  
 私も人手が足りないということで,告別式の道案内役をやることになりました。 

 で,ひとしきりmtgが終わったあと,*さんにSさんが何で亡くなったか尋ねてみました。そうしたところ,ご家族から死因は教えてもらっていないということでした。
 まあでも,*さんも知財部の皆も,当然私も,死因は薄々分かっていました。
 何故か?Sさんはうつだったからです。   

 M君の件とはまた違います。M君はそういう間もなく耐えられなかったのでしょうね。昨年の2016年,電通で起きたことのように。  
 でも,仕事の過重さやパーソナリティによっては,ある程度耐えてしまうということもあります。 

4 Sさんは,私と同世代の,ただ私のような新米知財部員ではなく,頼りになる中堅の知財部員でした。    

 当時の厚木の知財部は大きく2つの担当に分かれてました。1つが私の居た半導体のグループ,もう1つがSさんの居たB&P(情機と言えばわかりやすいですかね。)のグループです。  厚木テックは,元々半導体の厚木工場でしたので,半導体の開発をやっているというのはわかりやすいと思います。なので,開発の部署からたくさん発明報告書も上がってくるので,知財部も半導体のグループが必要なわけです。  
 他方,B&Pというのは,Business & Professionalの略で,プロ用,つまりは放送局用のAV機器関係です。ソニーのAVは元々芝浦工場(その後の芝浦テック,そして今はソニーの本社ビルが建ってます。)にあったのですが,民生用は芝浦に残し,プロ用は厚木に持って行ったわけです。  
 なので,半導体と同様,開発の麓で知財も見るということで,B&Pの担当も厚木の知財部だったのです。   

 で,Sさんは私の担当していた半導体とは異なるB&Pの方の担当でした。   

 さて,今でも覚えている人は多いと思いますが,私が知財部に異動した1998年(平成10年)ころは,ビジネスモデル特許が巷で大きくクローズアップされた時期でした。特許とか知財とかが初めてメジャーになったのがこの頃だったのではないかと思います。

  私がこんな希望叶うわけないな~と思いつつも,諦めきれず毎年毎年知財部への異動希望を出したおかげか知りませんが,瓢箪から駒,嘘から出た真のような形で1998年(平成10年)に知財部へ異動できたのも,まさにビジネスモデル特許ブーム様々でした。
 つまり,ビジネスモデル特許ブームは氷山の一角であり,それ以外の分野でも大きく特許の数を増やそうとしていたのですね,どの企業も当時。なので,人が足りなくなったのです。知財部員の数が足りない!   

 で,ソニーもそうでしたので,どうしたかというと,新入社員も入れるし,社内で知財部異動希望者をかき集め,さらには,希望していない者(当時総研がお取り潰しになりましたので,その人員とか。おっと総研と中研とは違いますよ。)までかき集めたわけです。   

 でも私もそうですが,そんな異動したり入社したりですぐモノになるわけがありません。いっちょ前に仕事ができるようになるには,結構な時間がかかります。どんな仕事でもそうですけどね(この点について,エンジニアの人達は知財部の仕事を楽勝ものと考え,なめているようですが,それは大きな思い違いですね。)。  

 そうするとどうなるかというと,出願数が増えているのに,結局,前から居る人だけで処理しなければならず,しかも新人の教育に余計な時間を取られる合間に処理しなければならないってことです。   

 仕事が過重になる簡単な理ですわな。 

5 とは言え,恥ずかしながら,私はSさんの窮状にはまったく気づきませんでした。グループが違うということもあるのですが,それ以上に大きかったのは,他人の心配などしている場合じゃなかったということになります。   

 いやだって,1998年(平成10年)に念願だった知財部に異動できたわけですが,別に準備等していたわけではありません。本当,突然に異動が決まったって感じだったのです。
 ほんで,異動してすぐに弁理士の受験を決め,勉強も始めましたので,新しい仕事も覚えなきゃいけない,受験勉強もしなきゃいけない,っつうことで,もういっぱいいっぱいだったのです。いやあ正直。
 原因不明の発熱(何かストレスがあると熱が出るのですね。)やら,頭にデカいおできができるやらで,知財部の1年目は私もマジで大変だったのです。    

 なので,Sさんが休職したのも気づきませんでした。私が知財部に異動したてのころ,Sさんはよく喋る快活な人だなあという感じで,昼飯を一緒に食堂(当時,101G近くのコミュニケーションプラザ,通称コミプラの2Fでよく食べてましたね。)で食べるときも至って朗らかでした。   

 で,受験勉強も佳境に入った或るころ(1999年(平成11年)の夏前だったかなあ),Sさんを社内で全然見ないことに気づきました。  
 やはり昼飯の時間にB&Pのグループの人に聞くと,休職されたとのことで,その理由を聞くと,うつっぽいよ,ということでした。 

6 でもその時点では私は別にそう大事だとは思いませんでした。何故かというと,簡単です。LCD事業部時代にうつの人を沢山見たからですね。   

 ソニーのLCD事業部は昔からあったものではありません。私が入社したとき(1990年(平成2年))にはまだ無かったのです。仕事が変わったわけではありませんが,入社当時の私の部署はCCD事業部にあったのです(CCDは今やMOS型のイメージャーになってますけどね。)。  

 そのころは量産ではなく開発中心でしたので,うつになる人は皆無でした。ですが,その後,量産を始め,人も沢山集め,ビューファインダー用の小型のLCDだけではなく,ちょっと大きめのLCDにも乗り出したころから(低温ポリシリコンTFTのやつです。),事業部内でうつで会社に来れなくなった人がチラホラ発生し始めました。   

 で,私が知財部に異動したころでどうでしょうね~一つの課で一人とまでは行かないでしょうが,2つの課では一人程度,うつに罹患している人又は復帰した人が居たかなあって感じです。しかも開発だけではなく,生産現場の方までうつの人は広がっていました。 

 私は当時の生産現場であるソニー国分へよく出張していたのですが,○○さんは今日も休みだとか●●さんは午後からしか来れないとか,そういうことがよく発生しました。ああ,量産開発が進まねえなあっとも思いましたが,逆にちょっと責任を感じたりもしましたね。   

 しかし,かく言う私も出張先のソニー国分では,ビジネスホテルから朝8時過ぎに出勤し,職場を出るのはいつも夜10時前後でした。その後,同僚たちと飲み食いがてら飲み屋に行き,その後スナックまで行くこともありました。そうすると,ビジネスホテルに戻るのは,1時近く,それから寝て・・・の繰り返しでした。
 土日は相模原に戻れるものの,仕事の進捗によってはそのまま国分で週末を過ごし(あ,国分は鹿児島県ですので。),土日相模原に戻ったときは,月曜には朝一の飛行機でまた国分入りし,そして,また新しい週が始まる,こんな感じでした。
 そのころは,スノボもよく行ってましたので,朝起きて,ここはどこだったけ?と思うことも何回もありました。
 最高裁でも,似たようなシチュエーションでこういう事件がありました。

 今考えると,私もよく元気だったなあって気がします。ま,まだ30代の前半,単純に若かったからでしょう。 

 でも私も20代の終わりのころは実に追い込まれたときが正直あります,本当。まあ私の場合は,仕事よりもおねえちゃん関係でのっぴきならないことになったってのが大きいのですけどね(謂わば自業自得です。)。なので,M君やSさんの無念さ,いたたまれなさというのが多少わかるような気がするのです。 

 さ,本題に戻りますか。
 なので,LCD事業部時代には,うつの休職者も多く,休職明けの人が○日に復帰するというアナウンスもしょっちゅう行われてました。それはLCD事業部だけではなく,当時のソニーの多くの部署で繁忙感は半端なかったのではないかと思いますね。 

 ということで,Sさんのうつの休職の話を聞いても,ああここでもそうなんだなあくらいの感想しか持てなかったわけです。嫌なことですけどね。 

7 で,私の弁理士試験の受験が一段落ついたころ,確か,1999年(平成11年)の暮のころだったと思いますが,Sさんが休職から復帰したのです。    

 しかし,休職から復帰したSさんは以前の見る影もない,まさにそういう表現が当てはまるものでした。Sさんのグループの課長の*さんからは,みんなで話かけてくれみたいなこともあったのですが,いかんせん,話しかけてもあまり反応もなく,表情にも大きな変化もなく,どうしたらいいんだろうなあという所でした。以前はあんなに快活だったのに,もはや別人のようでした。  

 LCD事業部のころ見たうつサバイバーの人達よりも明らかに重い感じがしました。本当に,Sさんが朗らかに喋っている所を結局見ないままだったなあって思います(私は年明け,弁理士会の新人研修で,2ヶ月ほど不在でしたしね。)。   

 なので,先程述べたように,Sさんが亡くなったという報を聞いたとき,そういうことなんだろうなあと想像がついたわけです。  
 ただ,そんなうつサバイバーのSさんが何故急にそういう道を選んだのかよくわかりません。あくまでも噂ですが,それまでSさんに理解のあった課長の*さんが異動し,代わりにその4月からやり手である*さんがB&Pグループの課長になるので,それで色々思ったのではないだろうかということくらいでした。 

8 で,その月曜日は着の身着のまま通夜に行き,次の火曜日はフル装備をして,葬儀・告別式の交通案内をやりました。  
 交通案内しているときに困ったのが,近所のおばちゃんですね。何で亡くなったの,知らないの~みたいに尋ねてくるのですね。いやあ案内しているだけですので,詳しくは・・・みたいに誤魔化すので精一杯でした。ともあれ交通案内は特段問題なく終わりました。   

 今月はこんなのがもう2回目だ~,何か非常に疲れたなあとそんな気がしたのですね。やはり,こういうときには弁理士っちゅうのは役に立たねえなあと思いつつ,告別式も終わり,知財部の同僚達と厚木に戻った次第です。 

9 基本私は正義の味方とか世のため人のためとか大嫌いで(今も),それまでそんなこと考えたこともありませんでした。弁理士も自分の欲のためだけですし,それ以外の興味もサーフィンにスノボに,格闘技にプロレス,そしておねえちゃん関係しか無かったのです。   

 ですが,そんなことも言ってられません。前の職場と現職場で,しかも一ヶ月の間に二人も死人が出て(場所も同じ厚木テック),誰がどう考えてもまともじゃないわけですから。  
 なので,当時半導体のトップだった蓑宮さんに(蓑さんって覚えてますかね,ソニーOBの人。ほら,スイカ人間じゃなくトマト人間になろうとか。),こんなのおかしいということで,直談判をしました。 

「君は色が黒いねえ」
 
 それが蓑さんの第一声でした。というか,17年くらい経って覚えているのはそれだけ。つまりはあまり意味なしだったわけです。まあまあ心配することないよ大丈夫だよ,そんな話だったかなあって~もはやうろ覚えですよ。   

 これじゃあ埒が明かないってことで,更に蓑さんの上の,確か中村さんだったかなあ~にも直談判したのですが,今はもう名前すら覚えていないってことで,全くダメだったわけです。   

 じゃあということで,当時の社長だった出井さんにもメールしたのですが,こちらは何の反応もありませんでした。ま,そんなもんなんでしょうねえ。   

 さて,そんなこんなしている間に,司法試験の予備校も本格的に始まりました。
 半ば勢いで申し込んだのですが,週二回都心に通い(そのうち一日は平日),空いている時間は当然その勉強ですし,勿論仕事もありますので,本当ヘトヘトでした。その上,弁理士でもあるということで,その4月に異動してきたエンジニア出身の新人知財部員のチューター役もやることになり,更ににっちもさっちも行かなくなってきました。   

 4月の終わりくらいから,原因不明の発熱が頻繁に起こり,それを抑えるために薬を飲み,それでも発熱は起こり,また薬を飲み・・・。更に,歯が痛いなあと思って歯医者に行くと,こりゃ口内炎だなあということまでありました。口内炎の痛みじゃねえだろうつうぐらい痛かったのですけどね。

 で,5月に入り,そんな生活を続けていると,身体中に発疹が発生し,さすがに病院に行くことにしました。そうすると,ああこりゃ肝臓がいかれてんじゃないのかなあと言われ,戦々恐々しながら血液検査をしたのですが,何とか肝臓は大丈夫でした。   

 で,色々考えました。
 そして,仇を討つと言いながら自分が先に倒れちゃしょうがありませんので,この時点で,ああこんな事じゃダメだと決心はつきました。つまりはもう会社をやめようと決心したのです。 

10 まあ会社をぶっ潰してやると思いながら会社に通うというのもおかしな話ですので,丁度良かったのです。   

 で,会社を辞めるという決断をすると,あーら不思議,あの酷かった口内炎も治り,原因不明の発熱もしなくなり,勿論,発疹も消えました。これが2000年(平成12年)の6月のことでした。 

11 それからの辞めるまでの期間は短かったですね。丁度リストラの割増退職金の制度に引っかかるということもあり(そのときで,勤続10年以上,35歳以上でした。セカンドキャリアって言ったのです。),それに応募もしました。   

 結局まともに会社に行ったのは,2001年(平成13年)の2月いっぱいくらいまでですかね。3月は,溜まっていた有給休暇で,その年の5月に初めて受ける司法試験の短答試験の勉強をしておりました。   

 その時期は,久々に復活した仮面ライダーシリーズ(クウガ)の最終回近辺でした。オダギリジョー演じる五代雄介ことクウガが大ボスであるン・ダグバ・ゼバを倒し,前のような冒険家に戻り,そしてキューバの海岸で終わるという最終回でした。
 私も親しい友人たちに,大ボスを倒してキューバに行くぞ,と宣言してましたね。五代雄介のようになりたかったのだと思います。   

 さて,会社を辞めるに当たって色々手続があるので,3月の最後の日(3月31日が土曜なので,30日の金曜だったかな。)は出勤しました。
 帰りに,庶務の*さんに社員証を返し,厚木テックの正門をくぐるときに,いやあもうこのゲートを逆に入ることはないのだなあという感慨深い思いと,やはり何だか非常に解放されたような気分にもなりました。ああ清々した~,まさにそんな感じでした。   

 とは言え,その前の年の2月にはこうなるなんてさっぱり予想できなかったわけです。
 弁理士合格後,私なりに多少の計画はあったのです。数年後にはアメリカの西海岸にあるソニーのIPの拠点に赴任させてもらい,そこでパテントエージェントを取り(さらにはパテントアトーニーも),その後,その頃は出来ているだろうロースクールに行って日本の弁護士の資格も取れればいいなあくらいに思っておりました。ところが,予定より随分早い司法試験受験となってしまいました~♡。  

 まあ人生というのは,総じて思い通りにならないものですよ。私は物理学者になれなかった時点で結構身に染みてたと思っていたのですが,意外とウブだったのかもしれません。 

 さて,次回はいよいよこの話の最終回です。復讐に燃える私は一体どうするのか,どうしたのか,興味は尽きませんね。ムフフフ。 

→1234ビギンズナイト その3 メモリブレイク編へ続く

12 追伸
 本日も非常に寒い東京です。ちょっと雪が舞ってましたね。
 ところで,昨日の閲覧数は凄く多かったです。やはり皆さん,むっつりすけべなのですねえ。下世話な話が大好き~♡ってわけです。勿論私もそうですけど,すけべが過ぎるのもねえ。

 まあしかし,早く暖かくならないかなあって所です。
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理論物理学者を志望したのはもう30年近く前のこと。某メーカーのエンジニアを経て,弁理士に。今は,弁護士です。次は何かな。
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