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知財,特に特許を中心とした事件を扱っている理系の弁護士の雑記帳です。知財の判決やトピックについてコメントしたいと思っております。
1 概要
 本件は,上告人(東宝です。)が,著作権法(新法)の施行日である昭和46年1月1日より前に公開された映画の著作権侵害を理由として,上記映画のDVD商品である原判決別紙「被告商品目録」記載の各商品(本件商品)を海外において製造して輸入し,頒布する被上告人に対し,民法709条,著作権法114条3項に基づき,損害賠償を求める事案です。
 
 原審(知財高裁平成21年(ネ)10050号、平成22年6月17日判決。当時1部の塚原さんの合議体でした。)は、一審の認めた差し止めは正当だとしたものの、損害賠償については、「被告が,その著作権の存続期間が満了したものと考えた点に過失はなく,」として、認めませんでした。
 
 そして、この原審に不服の東宝が上告受理申立てしたのが本件、というわけですね。

 これに対して、最高裁(第三小法廷)は、原判決を破棄して、差し戻ししました(要するに、過失あり!ということです。)。
 
 まあ一連の著作権切れ?廉価DVDを巡る争いの一つということです。
 
2 問題点
 最高裁の判決でもあがっているとおり、問題点は一つです。
被上告人は,上記映画の著作権の存続期間につき旧著作権法(昭和45年法律第48号による改正前のもの。以下「旧法」という。)6条が適用されると考え,既に上記映画の著作権の存続期間は満了したと誤信していたと主張するところ,被上告人が,本件商品の輸入及び頒布をしたことにつき,過失が認められるか否かが争点となっている。」のとおりです。
 不法行為に基づく損害賠償請求ですからね、過失が必要、というわけです。
 
 原審は、上記のとおり、過失なしとしております。理由は以下のとおりです。
 「旧著作権法における映画の著作物の著作者については,原則として自然人が著作者になるのか,例外なく自然人しか著作者になり得ないのか,映画を制作した法人が著作者になり得るのか,どのような要件があれば法人も著作者になり得るのかをめぐっては,旧著作権法時代のみならず,現在でも学説が分かれており,これについて適切な判例や指導的な裁判例もない状況であることは,証拠(甲4,86ないし89,乙1ないし7等)に徴するまでもなく,当裁判所に顕著である。
 旧著作権法下における映画著作権の存続期間の満了の問題については,シェーン事件における地裁,高裁,最高裁の判決が報道された当時,法律家の間でさえ全くといってよいほど正確に認識されておらず,この点は,チャップリン事件の地裁,高裁,最高裁の判決が出た今日でも,同事件に登場してくるチャップリンが原作,脚本,制作,監督,演出,主演等をほぼすべて単独で行っているというスーパースターであるため,十分な問題認識が提起されたとはいえない。この問題が本格的に取り上げられるようになったのは,映画の著作権を有する会社が,我が国で最も著名な映画監督の1人といえる黒澤明の作品について,本件の原告等が本件の被告に対し本件と同種の訴訟を提起したことに事実上始まっているにすぎない。そして,チャップリン事件では,最高裁は先例性のある判断を示しているが,黒澤監督の作品では,黒澤監督以外に著作者がいることが想定されており,明らかにチャップリン事件よりも判例として射程距離が大きく判断も難しい事件であるところ,最高裁は上告不受理の処理を選択し,格別,判断を示していない。そして,本件各監督は,有名な監督ではあるが,黒澤監督の作品よりも,その著作者性はさらに低く,自然人として著作者の1人であったといえるか否かの点は判断の分かれるところである。
 そうであるとすれば,本件において,何人が著作者であるか,それによって存続期間の満了時期が異なることを考えれば,結果的に著作者の判定を異にし,存続期間の満了時期に差異が生じたとしても,被告の過失を肯定し,損害賠償責任を問うべきではない。原判決は,被告のような著作権の保護期間が満了した映画作品を販売する業者については,その輸入・販売行為について提訴がなされた場合に,自己が依拠する解釈が裁判所において採用されない可能性があることは,当然に予見すべきであるかのような判断をするが,映画の著作物について,そのような判断をすれば,見解の分かれる場合には,裁判所がいかなる見解を採るか予測可能性が低く,すべての場合にも対処しようとすれば,結果として当該著作物の自由利用は事実上できなくなるため,保護期間満了の制度は機能しなくなり,本来著作権の保護期間の満了した著作物を何人でも自由に利用することを保障した趣旨に反するものであり,当裁判所としては採用することはできない。
 いろんな学説があり、個々の事実によっても分かれる話であって、こんなので過失ありとしたら、やりきれんわい、ってところなんでしょうかね。
 
3 判旨
 「旧法下の映画の著作者については,その全体的形成に創作的に寄与した者が誰であるかを基準として判断すべきであるところ(最高裁平成20年(受)第889号同21年10月8日第一小法廷判決・裁判集民事232号25頁),一般に,監督を担当する者は,映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与し得る者であり,本件各監督について,本件各映画の全体的形成に創作的に寄与したことを疑わせる事情はなく,かえって,本件各映画の冒頭部分やポスターにおいて,監督として個別に表示されたり,その氏名を付して監督作品と表示されたりしていることからすれば,本件各映画に相当程度創作的に寄与したと認識され得る状況にあったということができる。
 他方,被上告人が,旧法下の映画の著作権の存続期間に関し,上記の2(7)アないしウの考え方を採ったことに相当な理由があるとは認められないことは次のとおりである。
 すなわち,独創性を有する旧法下の映画の著作権の存続期間については,旧法3条~6条,9条の規定が適用される(旧法22条ノ3)ところ,旧法3条は,著作者が自然人であることを前提として,当該著作者の死亡の時点を基準にその著作物の著作権の存続期間を定めるとしているのである。旧法3条が著作者の死亡の時点を基準に著作物の著作権の存続期間を定めることを想定している以上,映画の著作物について,一律に旧法6条が適用されるとして,興行の時点を基準にその著作物の著作権の存続期間が定まるとの解釈を採ることは困難であり,上記のような解釈を示す公的見解,有力な学説,裁判例があったこともうかがわれない。また,団体名義で興行された映画は,自然人が著作者である旨が実名をもって表示されているか否かを問うことなく,全て団体の著作名義をもって公表された著作物として,旧法6条が適用されるとする見解についても同様である。最高裁平成19年(受)第1105号同年12月18日第三小法廷判決・民集61巻9号3460頁は,自然人が著作者である旨がその実名をもって表示されたことを前提とするものではなく,上記判断を左右するものではない。そして,旧法下の映画について,職務著作となる場合があり得るとしても,これが,原則として職務著作となることや,映画製作者の名義で興行したものは当然に職務著作となることを定めた規定はなく,その旨を示す公的見解等があったこともうかがわれない。加えて,被上告人は,本件各映画が職務著作であることを基礎付ける具体的事実を主張しておらず,本件各映画が職務著作であると判断する相当な根拠に基づいて本件行為に及んだものでないことが明らかである。
 そうすると,被上告人は,本件行為の時点において,本件各映画の著作権の存続期間について,少なくとも本件各監督が著作者の一人であるとして旧法3条が適用されることを認識し得たというべきであり,そうであれば,本件各監督の死亡した時期などの必要な調査を行うことによって,本件各映画の著作権が存続していたことも認識し得たというべきである。
 以上の事情からすれば,被上告人が本件各映画の著作権の存続期間が満了したと誤信していたとしても,本件行為について被上告人に少なくとも過失があったというほかはない。」
 
4 検討
 要するに、旧法下の映画の著作権については、いつ著作権が切れるかについて論点はあったものの、被上告人(被告)の言う程突飛な説があったわけではなく、ちょっと調べればわかるほどには議論は収束していたんだから、やすやすとそれを怠ったあんたに過失はあるんだね、これが、ということでしょうね。
 
 さて、問題となるのは主として旧法なので、旧法の条文を示しておきましょう。
 (旧著作権法3条1項)「発行又ハ興行シタル著作物ノ著作権ハ著作者ノ生存間及其ノ死後三十年間継続ス
(旧著作権法6条)「官公衙学校社寺協会会社其ノ他団体ニ於テ著作ノ名義ヲ以テ発行又ハ興行シタル著作物ノ著作権ハ発行又ハ興行ノトキヨリ三十年間継続ス

(旧著作権法52条1項)「第三条乃至第五条中三十年トアルハ演奏歌唱ノ著作権及第二十二条ノ七ニ規定スル著作権ヲ除ク外当分ノ間三十八年トス
(旧著作権法52条2項)「第六条中三十年トアルハ演奏歌唱ノ著作権及第二十二条ノ七ニ規定スル著作権ヲ除ク外当分ノ間三十三年トス
 
 そして被告は、本件映画は、旧法6条に該当し、経過規定などより、公開後50年で著作権が切れると思っていた~♪と主張していたようです。

 被告もプロ(事業者)ですので,当事者がプロの場合の通常訴訟での過失というか注意義務というかの話との均衡からすると,不注意と認定されるのは仕方ないかなあという感がします。
 儲けを得るにはそれなりのリスクも内在しているはずですから,リスク込みで引き受けないとね,ということです。都合の良い時だけ,素人みたいなこと言っちゃダメよ,ということでもありますが。

 ただ,原審の塚原さんを擁護するわけではないですが,一般的な法領域では,上記でもよいとしても,著作権の寿命の論点に限れば,若干致し方ないと思う所があります。

 というのは,結局法的な論点というのは,争いにならない限り顕在化せず,学説も対応できないのですね。
 そりゃそうですよ,法学は典型的な実学であり,仮定の話や空中戦をしてもしょうがないですからね。例えば,判示されている最高裁平成20年(受)第889号は,いわゆるチャップリン映画事件で,結構最近の話ですし,もう一つ判示されている最高裁平成19年(受)第1105号の,いわゆるシェーン映画事件もやはり最近の話ですしね。

 あと,一応念のために述べておきますけど,今回の判決と上記のチャップリン事件やシェーン事件と,論点は微妙に違いますからね。
 チャップリン事件やシェーン事件は,あくまで客観的な著作権の寿命がいつまでだったかということが争いになった事件です。
 他方,今回の事件は,そこはさておき,客観的には寿命が尽きていないのに,寿命が尽きていると誤信した場合の,誤信の程度つまり主観的な部分の話です。

5 蛇足
 ということで,誤信しそうな,著作権の寿命の判例をまとめておきましょうかね。
(1)シェーン事件(最高裁平成19年(受)第1105号,平成19年12月18日判決)
 「本件映画を含め,昭和28年に団体の著作名義をもって公表された独創性を有する映画の著作物は,本件改正による保護期間の延長措置の対象となるものではなく,その著作権は平成15年12月31日の終了をもって存続期間が満了し消滅したというべきである。
 例の旧法→新法で,公表後33年→公表後50年が,さらに新法→改正新法で,公表後50年→公表後70年まで伸長されるかどうか問題になったものです。旧法だと6条の話です。
 ですので,客観的な話ですね。
 
(2)チャップリン事件(最高裁平成20年(受)第889号,平成21年10月08日判決)
 「著作者が自然人である著作物の旧法による著作権の存続期間については,当該自然人が著作者である旨がその実名をもって表示され,当該著作物が公表された場合には,それにより当該著作者の死亡の時点を把握することができる以上,仮に団体の著作名義の表示があったとしても,旧法6条ではなく旧法3条が適用され,上記時点を基準に定められると解するのが相当である。
 これは,(1)と異なり,経過規定とかのつなぎの話ではなく,適用条文を旧法3条か旧法6条かを判断した,いわば事実認定の問題,ひいては,映画の性質の話です。
 
(3)黒澤事件(知財高裁平成19(ネ)10083号など,平成20年07月30日判決。最高裁は,平成21年10月08日に上告を棄却して,知財高裁の判断で確定。)
 「本件映画は著作者の実名を表示して興行された著作物であり,旧著作権法6条にいう団体名義の著作物に当たらないというべきである。
 したがって,本件映画の著作権の存続期間は,旧著作権法3条が適用されるものと解される。
 やはり,これも,経過規定とかのつなぎの話ではなく,適用条文を旧法3条か旧法6条かを判断した,いわば事実認定の問題,ひいては,映画の性質の話です。
 
(4)まとめ
 上記のとおり,チャップリン事件と黒澤事件は同じ論点の話,シェーン事件はこれらとはちょっと違う論点の話,そして,今回の事件は,これらとはかなり違う話,というわけです。
 
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