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知財,特に特許を中心とした事件を扱っている理系の弁護土の雑記帳です。知財の判決やトピックについてコメントしたいと思っております。
1 首記の本は,今月の初め,夏休み前に紹介したこの本の続編です。
 ですので,まずは,基礎知識編を読んでからがよいと思いますね。

    外見はこんな感じです。
 

 で,今回の戦略編を読んでの感想というのは,まあそのとおりかもしれないなあ・・・ムニャムニャって所です。
 うん,あんたの好きな中野さんのおもろい本だったろうに,テンションの低さは何なの~って感じかもしれません。
 まあでもうーん,なんかテンションが低くなる~それは中野さんの言いたいことがよく分かったせいなのかもしれませんが,別の理由もあるかなあと思います。

 前回,前の基礎知識編を紹介したときに,私は,経済学を占星学,つまりは占いに例えました。
 とすると,この占い師(中野さん)は信用でき,あの占い師(主流派経済学者)は信用できないとする,基準が結局無いのですわ。所詮どっちも占いですからね。
 なので,うーん,っとテンションが低いのですね。

2 で,今回,この一連の本を読むにつけ,私が大学と大学院時代に学んだ物理学と,経済学の違いは何なのか,何故経済学は占い程度の評価になってしまうのか,ちょっと考えました。

 大した結論が出たわけではありませんが,それは2つの理由があると思いますね。一つは①間違いが分からない,もう一つが②規範的である,ということなんだと思います。

 まずは,①間違いが分からない,からです。

 経済学を占いに例えたのは,当たらない占いなんて無い,と言われているからです。最初にこれを聞いたのは,評論家の呉智英さん発だったかなと思います。
 
 つまり,占いって玉虫色で,多義的で,どうにでも解釈できます。
 例えば,2019/8/28の午後3時ちょうどに,有楽町駅の日比谷口で,**という名前の,あなたにとって運命の人が現れます,なんて占いはしませんよね。これは間違いがわかります。時刻や場所,内容等に齟齬があれば立ち所に分かるからです。

 で,ちょっと私の星座である獅子座をネットで調べると,今週は(これも幅があるなあ),こんな感じらしいです。
今週のしし座さんは、ワクワク感と同時に、冷静な現実目線を光らせているようです。新しくはじめたいことがあるなら、落ち着いて考えて進めていくとうまくいくでしょう。
 これに当てはまらない方がおかしい!どんな人でも当てはまるっちゅうに~。

 私はカール・ポパーの正当な弟子を自負しております(そしてヴィットゲインシュタインの正当な弟子でもあります。)。
 そうなると,間違いかそうでないかが分からないものなんて,科学ではありません。

 中野さんも,主流派経済学も,正しいのはどっちか,どうすれば間違いが分かるのか,そこを決めておかないと,どっちにも乗れないわけです(勿論中野さんにすると,いまだデフレから脱却できないのがその証ってことになるのでしょうが。)。

 このブログで多少当てこすったのですが,数年前名古屋大学の研究グループが,光速を超えるニュートリノを発見したとの発表をしたことがありました。
 ニュートリノが光速を超えるとは,それは虚数の質量を持つ,タキオンに違いない,って妄想した人も居ると思いますけど,再実験の結果,装置に不備あっての測定ミスだということが判明しました。

 名古屋大学の研究グループには残念でしたが,このエピソードで非常に大事なことが分かります。間違いが間違いだと分かる,判明する,このことです。
 物理学の世界では,どんな偉い先生(偉いと思われているという意味でも結構です。)も,自然の現象と反することを主張しても誰も支持してくれません(8月革命説なんて珍妙なを主張しても病気扱いされない法学の世界も困ったもんですけどね。)。

 何が間違いか分かる,実に重要なことだと思います。

3 つぎ,②規範的であるってことです。
 物理学の概念に規範的なものはありません。
 
 例えば,上で出た質量,SI単位系だとkgです。
 これは,もともと水1リットルの重さを元にしているわけですが,そんな移ろいやすいもので基準にしちゃあたまんねえということで,今やプランク定数が元になっています。まあエネルギーと質量は等価なものですからね(原子爆弾とか)。

 なので,質量を測ろうと思えば,色々測る手段はあるわけです。
 精度次第で,100円ショップでも売ってそうな秤やら,イオン化して質量と電荷の比でもってピタゴラスイッチみたいに検出器にかけるやら,色々あります。

 で,経済学の重要な概念で,こんな感じで測れるものってあるんですかね?効用でも幸福でもいいのですけど,単位と測定法,ちゃんと定まっている概念ってあるのでしょうか?

 恐らくないと思います。
 これは規範的,つまり判断者の胸先三寸が入るからですね。まあこれも法学と同じですけどね(過失だとか進歩性だとか考えてみるといいです。)。

 だけど,それ自体は悪いことではありません。文学だとか倫理だとか,哲学だとか,それ自体規範的なものの嵐~というものは世の中に沢山ありますから。

 それに,物理学もそうだったのです。
 例えば,プラトンの弟子でアレクサンダー大王の家庭教師,万学の祖と言われたアリストテレス,今でいう物理学の研究も行っておりました。
 近世に入っても,ニュートンと並んで微積分学の祖と言われたライプニッツ,哲学の方でも有名です。

 つーか,もともと,フィジックスと呼ばれたのは自然学(形而学とも言います。この上の概念を扱うのが形而上学であり,いわゆる普通の哲学のことですね。)であり,それはメカニズムの領域(今で言う物理学。)と哲学の領域(自然哲学とでも言いましょうか。)が未分で分かれていないものだったわけです。ずーっと。

 物理学が,哲学の領域を捨て,メカニズム一筋,つまりは文学的深みのない薄っぺらい世界に変わったのは,20世紀のはじめ,物理学の危機(ニュートン力学やマクスウェルの電磁方程式に反する自然現象が多く観測された時代。相対性理論と量子力学の萌芽となったわけです。)と呼ばれた時代からです。
 これは哲学,つまりは規範的な部分を捨てないと,20世紀には生き残れなかったからですね。

 それに最後まで抵抗したのが,エルンストマッハでしょう(マッハ自体は,物理学からの主観的なものの排除を主張したのですが・・。)。

 ということで,文学的深みを捨てたことで,物理学は極めて精緻なる学問の地位を手に入れました。
 これはどういうことかというと,質量は,とにかくどんな小さいものでも正確に測る,1つの原子も1つの量子も,それらの1億分の1の重さの誤差以下まで精密に測定してやる!そういうことなわけです。

 他方,光に質量がなく,ニュートリノには質量がある,けどニュートリノが質量を帯びた必要性は知らん!そういうことなわけです。

 規範的でなければ文学的深みは出ませんので,占いには致し方無い所だったのかもしれません。 
 でも,そうだとすると,経済学は,物理学を目指すのではなく,文学を目指すべきなのでしょうね。

4 おっと,いつものとおりの超脱線ですね。
 ま,兎も角いっぺんやってみりゃいいじゃんって所だとは思います。

 ということで,私の夏休みの課題図書は読了って感じです。

 そう言えば,ちびっこの夏休みの読書感想文用の本って,何故か物語(小説とかね)ばっかですよね。

 私,自分が小さいころから物語とかが大嫌い(今も)だったせいもあって,あれは実に不思議で,本当,読書感想文っちゅうのが国語嫌いの一因ですよ。

 まあ大人になって思いますが,アレは採点の都合,つまりは大人の都合を子供に押し付けただけですよね。嫌な風習だと思いませんかね。
 何を読み,どんな感想だろうが,人の勝手!

 おっとまた脱線しそうなので,この辺にしときますかね。
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理論物理学者を目指したのはもう30年以上前のこと。某メーカーでの液晶ディスプレイのエンジニアを経て,弁理土に。今は,弁護土です。次は何かな。
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