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知財,特に特許を中心とした事件を扱っている理系の弁護士の雑記帳です。知財の判決やトピックについてコメントしたいと思っております。
1 概要
 本件は, ハワイに在住するクムフラ(フラダンスの師匠ないし指導者)である原告が,従前,フラダンス教室事業を営む被告と契約を締結し,被告ないし被告が実質的に運営する九州ハワイアン協会(KHA)やその会員に対するフラダンス等の指導助言を行っていたが,両者の契約関係は解消された結果,原告が,被告に対して,被告が,被告の会員に対してフラダンスを指導し,又はフラダンスを上演する各施設において,別紙振付け目録記載の各振付けを被告代表者自らが上演し,会員等に上演させる行為が,原告が有する本件各振付けについての著作権(上演権)を侵害すると主張して,被告に対し,著作権法112条1項に基づき,本件各振付けの上演の差止め等を請求する事案です。

 これに対して,大阪地裁第26民事部(高松さんの合議体ですね。)は,請求の一部,つまり一部の振付けの差止を認めました。

 おお,何だか久々判決の紹介~。しかも結構まじめ系ですね。
 後継ブログかどっちかにしようか迷いましたが,マニアックではない一般向け~かなあって所で,こっちにしました。

2 問題点
 問題点は,単純です。
 フラダンスに著作物性があるかどうか?ってことです。

 あ,フラダンスというと,ボリショイ大サーカスとか,頭痛が痛いとか,同じ意味の言葉を二回使ってんじゃんと思うのですけど,ま,判決に従います~。

 踊り系の有名な判決だと,Shall weダンス事件があります。
 これは東京地裁平成 20 年(ワ)第9300 号(平成 24年2月28 日判決)で,その有名な映画のダンスシーンの振付けをした振付け師が,何故か映画会社等を訴えた事件です(パッケージソフトやテレビ放映されたのが気に入らなかったようです。)。

 この事件は,以下のように判示されました。
「社交 ダンス が,原則 として ,基本 ステップ やPV のステップ 等の既存 の ステップ を自由 に組み合わせて 踊られる ものである ことは 前記(1)アのと おりであ り,基本 ステップ やPV のステップ 等の既存 のステップ は,ごく 短いもので あり ,かつ ,社交 ダンス で一般的 に用いられるごくありふれた ものであるから ,これらに 著作物性 は認められない 。また ,基本 ステップ の諸要素 にアレンジ を加えることも 一般的 に行われていることであり ,前 記のとおり 基本 ステップ がご く短いものでありふれたものであるといえる ことに 照らすと ,基本 ステップ にアレンジ を加えた としても ,アレンジ の 対象 となった 基本 ステップ を認識 することができるようなものは ,基本 ス テップ の範ちゅうに 属するありふれたものとして 著作物性 は認められない 。 社交 ダンス の振り付けにおいて ,既存 のステップ にはない 新たな ステップや身体 の動きを 取り入れることがあることは 前記 (1)アのとおりであるが , このような 新しい ステップ や身体 の動きは ,既存 のステップ と組み合わさ れて 社交 ダンス の振り付け全体 を構成 する 一部分 となる 短いものにとどま ると いうことができる 。このような 短い身体 の動き自体 に著作物性 を認め, 特定 の者にその 独占 を認めることは ,本来自由 であるべき 人の身体 の動き を過度 に制約 することになりかねず ,妥当 でない 。 
 以上 によれば ,社交 ダンス の振り付けを 構成 する 要素 である 個々のステ ップ や身体 の動き自体 には,著作物性 は認められない というべきである 。       
イ  前記 (1)アのとおり ,社交 ダンス の振り付けとは ,基本 ステップ やPV のステップ 等の既存 のステップ を組み合わせ ,これに 適宜 アレンジ を加え るなどして 一つの 流れのある ダンス を作り出すことである 。このよ うな 既 存のステップ の組合 せを 基本 とする 社交 ダンス の振り付けが 著作物 に該当 するというため には ,それが 単なる 既存 のステップ の組合 せにとどまらな い顕著 な特徴 を有するといった 独創性 を備えることが 必要 であ ると解する のが 相当 である 。なぜなら ,社交 ダンス は,そもそも 既存 のステップ を適 宜自由 に組み合わせて 踊られ ることが 前提 とされている もの であり ,競技 者のみならず 一般 の愛好家 にも 広く踊られていることにかんがみると ,振 り付けについての 独創性 を緩和 し,組合 せに 何らかの 特徴 があれば 著作物 性が認められるとすると ,わずかな 差異 を有するにすぎない 無数 の振り付 けについて 著作権 が成立 し,特定 の者の独占 が許されることになる 結果 , 振り付けの 自由度 が過度 に制約 されることになりかねないからである 。こ のことは ,既存 のステップ の組合 せに加えて ,アレンジ を加えた ステップ や,既存 のステップ にはない 新たな ステップ や身体 の動きを 組み合わせた 場合 であっても 同様 であるというべきである 。」

 なかなか厳しい感じです。

 知財高裁でもファッションショー事件というのがあります。
 知財高裁平成25(ネ)10068号(平成26年8月28日 判決)です。これは,ファッションショーの主催者が,その模様を放送したNHK等を訴えた事件ですね。この事件も様々論点があるのですが,モデルのポージングについては以下のとおりの判示です。
「各モデルの上記ポーズ又は動作は, そもそも応用美術の問題ではなく, ファッションショーにおけるポーズ又は動作が著作物として保護される かどうかとの問題である。しかし,これらのポーズ又は動作は, ファッ ションショ ーにおけるモデルのポーズ又は動作として特段目新しいもの ではないというべきであり,上記ポーズ又は動作において,作成者の個 性が表現として表れているものとは認められない。したがって,これら のポーズ又は動作の振り付けに著作物性は認められない 。また , 同様の 理由で, これを舞踊の著作物と解することもできない 」

 著作権については,これ!という中山先生の「著作権法」第2版(有斐閣)のp89には,「社交ダンスのように,既存のステップの組み合わせがおおいようなジャンルの舞踏については,著作権を認めると他の者の行動を縛ることにもなりかねないので注意すべきであるが,これは舞踏の問題というよりは,創作性一般の問題である。」と書かれています。

 ということですので,基本難しい~わけです。特に,Shall weダンス事件からすると,顕著な特徴という,普通よりもハードルが高い基準をクリアしないと,舞踏系の著作物性は認められないんじゃないの?という見方もあったわけです。

 ですので,報道で,フラダンスに著作権!が,とされたとき,一般の人も驚いたし,知財系の人々も驚いたわけですね。

 で,今般,漸く,判決の公開がされたのです。

3 判旨
「ア  著作権法10条1項3号は「舞踊の著作物」を著作物の例示として挙げており,これは,人の身体の動作の型を振付けとして表現するものである。そして,これについては,それを公衆に直接見せることを目的として上演する権利(上演権)が著作権の支分権として定められている(同法22条)  
イ  ハワイの民族舞踊のことをフラないしフラダンスというが,フラには古典フラと現代フラがあり,古典フラが,大昔からハワイ人の歴史の中でそれぞれの流派に大切に守られ受け継がれてきた詠唱(オリ)と踊り(フラ)から成るのに対し,現代フラは,19世紀以降に西洋文明の影響を受けてメロディーを取り入れて作り出され,いわゆるハワイアン音楽と共に発展したものである。本件で問題とな っているのは現代フラであるが,現代フラでは,師匠であるクムフラ(クム)が自ら楽曲に振付けをして,自らの教室(ハーラウ)の生徒に教えている。(以上につき甲14[クムフラの陳述書])
 そして,ハワイの民族舞踊であるフラダンスの特殊性は,楽曲の意味をハンドモーション等を用いて表現することにあり(甲14),フラダンスの入門書においても,フラは歌詞をボディランゲージで表現する(乙3)とか,ハンドモーションで歌詞の意味を表現し,ステップでリズムをとりながら流れを作るというのがフラの基本である(乙5)とされている。すなわち,フラダンスの振付けは,ハンドモーションとステップから構成されるところ,このうちハンドモーションについては,特定の言葉に対応する動作(一つとは限らない)が決まっており,このことから,入門書では,フラでは手の動きには一つ一つ意味がある(乙3)とか,ハンドモーションはいわば手話のようなもので,手を中心に上半身を使って,歌詞の意味を表現する(乙5)とされている。他方,ステップについては,典型的なものが存在しており(乙3ないし6の入門書では合計16種類が紹介されている。),入門書では,覚えたら自由に組み合わせて自分のスタイルを作ることができる(乙3)とされている。  
ウ  これらのフラダンスの特徴からすると,特定の楽曲の振付けにおいて,各歌詞に対応する箇所で,当該歌詞から想定されるハンドモーションがとられているにすぎない場合には,既定のハンドモーションを歌詞に合わせて当てはめたにすぎないから,その箇所の振付けを作者の個性の表れと認めることはできない。
 また,フラダンスのハンドモーションが歌詞を表現するものであることからする と,ある歌詞部分の振付けについて,既定のハンドモーションどおりの動作がとられていない場合や,決まったハンドモーションがない場合であっても,同じ楽曲又は他の楽曲での同様の歌詞部分について他の振付けでとられている動作と同じものである場合には,同様の歌詞の表現として同様の振付けがされた例が他にあるのであるから,当該歌詞の表現として同様の動作をとることについて,作者の個性が表 れていると認めることはできない。
 さらに,ある歌詞部分の振付けが,既定のハンドモーションや他の類例と差異があるものであっても,それらとの差異が動作の細かな部分や目立たない部分での差異にすぎない場合には,観衆から見た踊りの印象への影響が小さい上,他の振付けとの境界も明確でないから,そのような差異をもって作者の個性の表れと認めることは相当でない。また,既定のハンドモーションや他の類例との差異が,例えば動作を行うのが片手か両手かとか,左右いずれの手で行うかなど,ありふれた変更にすぎない場合にも,それを作者の個性の表れと認めることはできない。
 もっとも,一つの歌詞に対応するハンドモーションや類例の動作が複数存する場合には,その中から特定の動作を選択して振付けを作ることになり,歌詞部分ごとにそのような選択が累積した結果,踊り全体のハンドモーションの組合せが,他の類例に見られないものとなる場合もあり得る。そして,フラダンスの作者は,前後のつながりや身体動作のメリハリ,流麗さ等の舞踊的効果を考慮して,各動作の組合せを工夫すると考えられる。しかし,その場合であっても,それらのハンドモーションが既存の限られたものと同一であるか又は有意な差異がなく,その意味でそれらの限られた中から選択されたにすぎないと評価し得る場合には,その選択の組合せを作者の個性の表れと認めることはできないし,配列についても,歌詞の順によるのであるから,同様に作者の個性の表れと認めることはできない。
    エ  他方,上記で述べたのと異なり,ある歌詞に対応する振付けの動作が,歌詞から想定される既定のハンドモーションでも,他の類例に見られるものでも,それらと有意な差異がないものでもない場合には,その動作は,当該歌詞部分の振付けの動作として,当該振付けに独自のものであるか又は既存の動作に有意なアレンジを加えたものいうことができるから,作者の個性が表れていると認めるのが相当である
 もっとも,そのような動作も,フラダンス一般の振付けの動作として,さらには舞踊一般の振付けの動作として見れば,ありふれたものである場合もあり得る。そして,被告は,そのような場合にはその動作はありふれたものであると主張する。
 しかし,フラダンスのハンドモーションが歌詞を表現するものであることからすると,たとえ動作自体はありふれたものであったとしても,それを当該歌詞の箇所に振り付けることが他に見られないのであれば,当該歌詞の表現として作者の個性が表れていると認めるのが相当であり,このように解しても,特定の楽曲の特定の歌詞を離れて動作自体に作者の個性を認めるものではないから,個性の発現と認める範囲が不当に拡がることはないと考えられる。
    オ  ところで,フラダンスのハンドモーションが歌詞を表現するものであることからすると,歌詞に動作を振り付けるに当たっては,歌詞の意味を解釈することが前提になり,普通は言葉の通常の意味に従って解釈すると思われるが,作者によっては,歌詞に言葉の通常の意味を離れた独自の解釈を施した上で振付けの動作を作ることもあり得る。そして,原告は,その場合には解釈の独自性自体に作者の個性を認めるべきであると主張する趣旨のように思われる。しかし,著作権法は具体的な表現の創作性を保護するものであるから,解釈が独自であっても,その結果としての具体的な振付けの動作が上記ウで述べたようなものである場合には,やはりその振付けの動作を作者の個性の表れと認めることはできない。 
 他方,被告は,たとえ歌詞の解釈が独自であり,そのために振付けの動作が他と異なるものとなっているとしても,当該解釈の下では当該振付けとすることがありふれている場合には,当該振付けを著作権法の保護の対象とすることは結局楽曲の歌詞の解釈を保護の対象とすることにほかならず許されないと主張する。しかし,歌詞の解釈が独自であり,そのために振付けの動作が他と異なるものとなっている場合には,そのような振付けの動作に至る契機が他の作者には存しないのであるから,当該歌詞部分に当該動作を振り付けたことについて,作者の個性が表れていると認めるのが相当である。そして,このように解しても,個性の表れと認めるのは飽くまで具体的表現である振付けの動作であって,同様の解釈の下に他の動作を振り付けることは妨げられないのであるから,解釈自体を独占させることにはならな い。
 これに対し,歌詞の解釈が言葉の通常の意味からは外れるものの,同様の解釈の下に動作を振り付けている例が他に見られる場合には,そのような解釈の下に動作を振り付ける契機は他の作者にもあったのであるから,当該解釈の下では当該振付けとすることがありふれている場合には,当該歌詞部分に当該動作を振り付けたことについて,作者の個性が表れていると認めることはできない。 
    カ  以上のハンドモーションに対し,ステップについては,上記のとおり典型的なものが存在しており,入門書でも,覚えたら自由に組み合わせて自分のスタイルを作ることができるとされているとおり,これによって歌詞を表現するものでもないから,曲想や舞踊的効果を考慮して適宜選択して組み合わせるものと考えられ,その選択の幅もさして広いものではない。そうすると,ステップについては,基本的にありふれた選択と組合せにすぎないというべきであり,そこに作者の個性が表れていると認めることはできない。しかし,ステップが既存のものと顕著に異なる新規なものである場合には,ステップ自体の表現に作者の個性が表れていると認めるべきである(なお,ステップが何らかの点で既存のものと差異があるというだけで作者の個性を認めると,僅かに異なるだけで個性が認められるステップが乱立することになり,フラダンスの上演に支障を生じかねないから,ステップ自体に作者の個性を認めるためには,既存のものと顕著に異なることを要すると解するのが相当である。)。また,ハンドモーションにステップを組み合わせることにより,歌詞の表現を顕著に増幅したり,舞踊的効果を顕著に高めたりしていると認められる場合には,ハンドモーションとステップを一体のものとして,当該振付けの動作に作者の個性が表れていると認めるのが相当である。
    キ  以上のようにして,特定の歌詞部分の振付けの動作に作者の個性が表れているとしても,それらの歌詞部分の長さは長くても数秒間程度のものにすぎず,そのような一瞬の動作のみで舞踊が成立するものではないから,被告が主張するとおり,特定の歌詞部分の振付けの動作に個別に舞踊の著作物性を認めることはでき ない。しかし,楽曲の振付けとしてのフラダンスは,そのような作者の個性が表れている部分やそうとは認められない部分が相俟った一連の流れとして成立するものであるから,そのようなひとまとまりとしての動作の流れを対象とする場合には,舞踊として成立するものであり,その中で,作者の個性が表れている部分が一定程度にわたる場合には,そのひとまとまりの流れの全体について舞踊の著作物性を認めるのが相当である。そして,本件では,原告は,楽曲に対する振付けの全体としての著作物性を主張しているから,以上のことを振付け全体を対象として検討すべきである。
 そしてまた,このような見地からすれば,フラダンスに舞踊の著作物性が認められる場合に,その侵害が認められるためには,侵害対象とされたひとまとまりの上演内容に,作者の個性が認められる特定の歌詞対応部分の振付けの動作が含まれることが必要なことは当然であるが,それだけでは足りず,作者の個性が表れているとはいえない部分も含めて,当該ひとまとまりの上演内容について,当該フラダンスの一連の流れの動作たる舞踊としての特徴が感得されることを要すると解するのが相当である。
    ク  以上の考え方の下に,本件振付け6等の著作物性について個別に検討す る(なお,上記のとおりステップについては基本的に作者の個性が認められないから,特に検討を要する場合に限り言及することとする。)。

    (2) 本件振付け6,11,13,15ないし17ごとの検討
      ア  本件振付け6(楽曲:E Pili Mai)
 (ア)‘Auhea wale ana‘oe 
          a  ‘Auheaは「どこに」,‘oeは,「あなた」の意味であり(乙54),原告は,これを「あなたは何処にいるの」と訳している。
b  本件振付け6では,大きく分けて,①右腕を,掌を下に向け額の前にかざし,わきを開いて左肘を曲げて胸の前に持ち上げて水平に置き,体の向きを左前から右前に動かし,このときステップは,右足と左足を交互に2歩ずつ右へ踏み出し移動する,②次に,左腕を伸ばし,右肘を少し曲げて,両手を胸の高さで掌を同じ向き(前面やや下向き)に揃え,体の向きを右前から左前に動かす,という2つのパートからなる動作をしている。
 これらの動作について,原告は,体の向きとともに両腕を左へと動かす動作は「あなたはどこにいるのか?」という意味を表していると主張する。
 まず,①の動作について見ると,‘Auhea(どこに)に対応するハンドモーション  は片手を額の前にかざすとされており(乙26),乙12の振付けも,片手を額の前にかざしている。もっとも,①の動作は,額の前にかざさない方の手も曲げて胸の前に置いているのに対し,乙12や乙26では伸ばしている点が異なるが,片腕だけ曲げるところを両腕とも曲げることにするのはありふれた変更にすぎないから,これを有意な差異ということはできない。 
 次に,②の動作について見ると,‘oe(あなた)のハンドモーションは,目の前にいる相手を片手の指先又は掌で指すものである(乙3,4)から,②の動作は,これを体の向きを変えつつ行うものであるが,その点も含めて甲25の左下及び右下の振付けと同様のものである。
        c  したがって,ここの歌詞に対応する振付けは,原告の個性が表れているとは評価できない。
・・・・
 (ウ) Pō anu ho‘okahi no au  15
          a  Pōは「夜」,anuは「寒い」,ho‘okahiは「ただ一人の」,auは「私」の意味であり(乙54,3),原告は,これを「夜は寒く  私は一人」と訳している。
b  本件振付け6では,大きく分けて,①両手の掌を下に返して右肘を少し曲げ,そのまま両腕を下ろしながら胸の高さまで持って行き,胸の前で体に沿うように両腕を交差させて両手の掌を内側に向け,一連の動作は右に270度ターンするステップの中で行われる,②次に,ターンにより左斜め後ろを向いたまま,両腕を伸ばしきるまで下ろしながら左斜め後ろへ左足右足を交互に2歩ずつ前進する,という2つのパートからなる動作をしている。
  まず,①の動作についてみると,原告は,右回りに回転しながら両腕を下ろし胸 の前で交差させることで,暗い夜が続き,暗く寒くなっていることを表していると主張する。この点,甲25の他の振付け及び乙12の他の振付けはいずれも,手の動きについては本件振付け6と同様の動きをしているものの,その際にターンするものはない。ターンは通常のステップの一種ではある(乙5のスピンターン)が,「夜」や「寒い」といった静的な歌詞からターンすることはが通常想定されない上,両腕を降ろしながらターンすることによって体全体の躍動感を高めていることから なお有意な差異があるというべきである。これに対し,被告は,手の動作が既存のハンドモーションであり,足の動作が既存のステップであり,これらを組み合わせた動作はありふれたものであると主張するが,上記のとおり採用できない。
  次に,②の動作について見ると,原告は,聴衆と反対(後ろ)に向かって歩いていくことで彼が孤独であることを表し,両腕を下ろすことで抱きしめる者がおらず一人で寒い夜を過ごしていることを表していると主張する。そして,この動作は,ここでの歌詞から想定されるものでない上,これと同様の動作を行っている類例は認められないから,本件振付け6独自のものであると認められる。これに対し,被告は,このような動作があらゆる舞踊においてありふれた動作であることを指摘するが,こうした被告の主張が採用できないことは,上記(1)エのとおりである。  
          c  したがって,ここの歌詞に対応する振付けは,原告の個性が表現されていると評価できる。
・・・・
(セ) 小括
  以上のとおり,本件振付け6には,完全に独自な振付けが見られる(上記(ウ)②,(キ)①〔及び(サ)〕)だけでなく,他の振付けとは有意に異なるアレンジが全体に散りばめられている(上記(ウ)①,(カ),(ク)①,(コ)①〔及び(サ)〕)から,全体として見た場合に原告の個性が表現されており,全体としての著作物性を認めるのが相当である。 」

4 検討
 重要なので,長く引用しました。
 規範の所で重要なのは,きちんとフラの構造を確認しているということです。

 私は,引き込もり体質な上,飛行機が嫌いですので,ほとんど旅行には行かないのですけど,サーフィンする以上,ハワイには結構行きました~。そうですね~,10回弱は行っていると思います(ほとんどがソニーでのエンジニア時代)。ロイヤルハワイアンショッピングセンターの前なんかで,無料のフラがしょっちゅう催されてましたもんね。
 なので,フラの意味,手話のような踊りということも知っていました(あと知り合いにフラの先生も居たりします~。)。

 ですので,上記のように分析的に考えるというのは評価できますね。
 つまり,手話的な表現を越えた部分には,個性の発露があるだろう,これがハンドモーション,手の部分ですね。
 他方,足の部分,ステップについては,まあリズムに合わせてるだけなんだから,個性の発露はないんじゃないの~って感じです。

 私が気になったのは,なぜクムフラがこの九州の団体を訴えたんだろう?ってことですが,経緯を見ると,従前は,仲良くクムフラがこの団体に来てフラを教授したり,団体主催のイベントにも来ていたらしいです。
 ですが,団体のトップが亡くなり新しいトップとはなかなか従前のように上手くはいかなかった~そこに諍いの種があったようですね。

 ま,経営陣が一新されると,旧経営陣と違う何か新しいことをやりたくもなります。ですが,一番の根っこというか枢要な部分を取り替えるというのであれば,慎重にも慎重でやらないといけません。新経営陣は,そこの所をちょっと焦ったのではないかという気がしますね。
 なので,和解の道もあるように思えます。
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理論物理学者を志望したのはもう30年近く前のこと。某メーカーのエンジニアを経て,弁理士に。今は,弁護士です。次は何かな。
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